Dayaのプロセスワーク・・・グループプロセスの後に 嘆いてみた

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久しぶりに東京に出ました。
Dayaのプロセスワーク グループプロセスをいっぱい、いーっぱいしてきました。
DayaのプロセスワークはNVCを生きる私にとって前進へのパワーになっている。
私がヴィジョンをイメージした時、一人ではなかった。皆でつながる質や安心感。何もできない私でも、何もやりたくない自分でも 「そうなんだんね」と受け止めてもらえる安心感。その相互関係がイメージされた。
一人ではなく、仲間とつながっていく際に 葛藤や対立なくしてはつながれない。今、そのビジョンを描く時に 受け止める器の大きさと安定感がある。私が描く生き方をみていく時に そのどっしりした母のように大地を感じさせてくれる。

ここ数ヶ月、大きな決断をいくつかした。
損とか得でつながる人との関係を考え直した。
自分の存在をちゃんと見てもらえるつながりを求めた。
機嫌を取ったり、営業するような感覚で つながるのは私が本来目指している姿ではない。私自身が私を大事にする選択。

私が相手に対する眼差しは、至って変わらない。
自分に嘘をつくのをやめた。
相手がどのように感じたかは、相手にお任せして 反応が起きているのは私ではない。
私が求める 本来のつながりを求めた。
つながってもらっている感覚を手放した。


どのようにグループが機能したら インクルーシブやダイバーシティな 自分が求めるような合意形成ができるのか、NVCの文脈で沢山学んだ。
コンバートファシリテーションや、人種問題の痛みや課題。そこに関するケアや神経学。
共感、ニーズの深さ。細胞感覚の共感。
新しい参加型をイメージした際に感じる 私の中に湧いてくる違和感を大事にし、身体感覚につながり答えを求めた。
毎日 インナーワークをした。

それでも 絶望でいっぱいになった。
息ができなかった。
いつまで、どこまで願っても叶わないのかと思うと 生きている意味がないとも思った。

私の痛みなんて お前にわかるはずない!!
そう思った。
所詮、自分のことしか考えていない。
表面だけだ・・・
自己の承認を求めていることを感じると、一気に目が覚めて ともいていく感覚・・・。

周りを見た時に、言葉と行動のギャップにイライラした。
自分がどうありたいか どう生きていくか 考えた時、
自分を消したくなった。
自分だけのことを考えて生きることができないもどかしさを感じた。


いろんなプロセスを終えて、
私は、一皮剥けた。
数ヶ月前にDayaが言ってくれたこと。
「相手に都合よく 使われないようにしなさいよ。」
「もっと、自分を大事にね。」
「いつも 応援しているよ。」
その言葉の意味を、周縁化しつつ・・・周縁化せずに考えていたのだ。

グループプロセスではいくつものソーティングがされた。
子供を産む産まないプロセスでは、その場に聞こえる悲しみを拾っていた。寄り添うロールを取る私がいた。
過去の経験と共にそこに立っていた。何かのロールではなく自分として。
落ち着いてその場にいた。
不妊治療もしたし、子供を産まない女性は使いものにならないと言われているようなゴーストロールとも戦った。
結婚して子供が産まれても、お前はダメな母親だとか、経済的に望まない妊娠で子供を下ろす経験もした。そして今も子供との関わりは、私の最大の愛情を捧げているがそれは他人にとっては違ったものにも見えるかも知れない。

答えはないのだ。

また、動画配信を始めよう。
それは、私のために。
そう思った。

世界を愛でいっぱいにするために
何ができるだろうか・・・
嘆きをともにしようと言ってくれた ナホさん、
いつも聞いてくれる クッキー
暖かく見守ってくれるNVC大学の皆さん
私は生きようと必死です。
都合よくなんて ない!そう思いたいし、その世界を私は望んでいたのかも知れません。

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