
ふと、自分が出産したときのことを思い返していた。
産後?新築の家に帰ってきて毎日が、喜びでいっぱいで夢のようだった。
待ち望んでいた自分の家族。
子供が産めないと思っていた私は神様からのプレゼントか、子供ができて、その小さな存在と一緒に過ごせることが何よりの喜びだった。
数週間後に、市町村から助産師さんが家庭訪問にやってきてきた。
その時、助産師から
「母子手帳手帳はありますか」と言われて、慌てて階段を駆け上って2階の部屋に取りに行った。
息を切らせながら「はいこれが母子手帳です」と喜びと嬉しさを体全身で表現し、助産師さんに渡した。
その時、助産師さんから帰ってきた言葉は、「産後なのに階段を駆け上ってはダメでしょう。あなた自分の体のことをちゃんとしないと…」
そう言われて私の体が硬直した。
ただただ、早く見せたい 渡したい
そういう気持ちで急いで運んだ母子手帳だったが
ありがとうも
嬉しいねも
わたしが欲しかった言葉はなくて、愕然としてしまい、固まった。がっかりした。
自己肯定感が低かった私には、私を否定する返事が返ってきたとしか思えなかった。
その時に出来上がった 信念がある。
これから始まる 私が知らない子育てをすることに対して、常に否定されるんじゃないかと言う恐怖を持つようになった。
自分でも気づいていなかった。
そう、自分でも気づいていなかったけれども 今振り返ると、ずっと私の中にあった。
否定される怖さ。
子供が保育園に行くようになった時、
先生から何か言われるような雰囲気を察知すると、また否定されるんじゃないかその怖さが私を襲った。
お前はだめな母親だ。何をやっているんだ。ちゃんとしなさい。なんでできないの。
そんな事は、何も先生は言っていない。
でも、私の信念が、そう言われるのに違いない。
そんな考えでいっぱいになり、防衛敵になり、構える私がいた。
そう、自分を守ることで必死になる。
それは、子供が小学校へ行っても 先生とのやり取りをしようとする時に 先生に対する気持ちとして 私の否定されるんじゃないかと怖さがが残った。
NVCのクラスをするようになり、
保育園の先生や幼児期に携わる方たちとの関わりの中で、その担当の方たちが、どれほどお母さんの役に立ちたいとか、子供のためにとか
そういった思いで接してくれていることを
聞かせていただき、今どれ程 サポートされてきていたのかそのことに気づいている。
そして、感謝でいっぱいに。
気づけなかった自分へ恥ずかしさを感じることもあった。
それ以上にありがたく感謝の気持ちも湧いている。
だからこそ、私のように否定されている感覚で、子育てをしているお母さんが少なくなったらいいなぁと言う気持ちになる。
否定でもなく、評価でもなく、アドバイスでもなく、それぞれが存在を大事にされ、今抱えているものを理解した上で子供のために時間や心を差し出していくそんな関係性があったらどんなに子供は幸せなんだろうか。
NVCがここにあったらいいなぁと芯から思っている。
私が経験してきた嘆きや 恐れ、怖さ、恥、社会に従順であるために自分を防衛し頑張ってきたそれが無駄ではなく、未来への可能性に変換でき、誰かのお役になったら、
私の命が喜びます。
たくさんのお母さん、たくさんの助産師、保健婦、子供に関わる大人たちに健やかで生きることへの喜びの循環を経験してほしい。
知らないことをやっていく はじめての子育てこそ、喜びであってほしい。
その願いに つながれた夜🌙