
NVC大学2日目。
Two Loops
自分の課題にしていることを歩くことで、それぞれの場所で起きている体験を体感し、自分とその周りの状態を理解できた。
そして自分が今立てるであろう役割が見えた。
NVC大学のメンバーとの間にある関係性もみんなでやることで確認できる。
誰がどこにいるのかを確認し、認知できたときに、安堵感を感じた。
その視点で、私は自分の役割を全うできる。
ナビゲーターのサポートを得て、大きな収穫を得た1日。
生きること、一人では、自分の捉えた世界に向かうことに 確かに出来ない。
何もできないことが、よく理解できる。
〜〜〜
そして、今日はそれぞれのプロジェクトの発表をした日。
ホテルまでの道のりを、不思議な気持ちでぼんやり・・・歩いた。
途中、用水路の脇に小さな神社が祀られていて、そこを流れる水の音を聞き、風に木がたなびくのを心地よく感じながら、氏神様に挨拶をして通り、行き来します。
今日は、格別にホテルまでの道が気持ちよかった。
それぞれが、自分のリソースに自覚的にNVCをどのように受け取ってもらうかを考えてプロジェクトを発表していた。
歩きながら、今日1日を振り返る。
自分たちのProXの発表も振り返る。
フィードバックとして帰ってくる自分のトラウマと向き合い、状態として観察。
(ムチで叩かれる家畜の豚さんと、歌手の小林旭のグラデーションの幅の中を生きる私←ゆうちゃんのクリーンな問いで出てきた私の世界w笑)
どんな自分にも許可するのは、そりゃ〜怖いよな。
そりゃ〜分析して、安心したくもなる。
そうだよね、そうそう・・・よしよし・・・。
分析したくなる自分もそのままに感じる。
ありたい自分ではなく、観察する。
確かに、一瞬一瞬、分析し、理解し、安心したくなる衝動に駆られた自分がいた。そんな自分もいる。
解釈したかったのは、セルフから自分を許可(許す)ことができたとき、それだけでは足りなくて、仲間に「それでいいんだよ」と、許可(許す)の同意をしてもらうことが必要。
それは私にも十分にある。
でも、どこから、どの理論で、それらがあるの???と、解釈したくなっていた。
答えのないもの。
かずみさんが最後に私に話してくれたことが耳に残った。
「気づいたんだ。」
勿論、自分のニーズは大事。
でも、それだけを考えると 怖さや境界線が出てくる。
自分のニーズも相手のニーズも同じくらい大事だって思ったときに、怖さやそれらに身を委ねることができ、本当の意味で自分の願った世界に生きられる感覚になれる。
それが、ものすごく難しいこと。
もう、傷つきたくない。
そうだよね。そうだよね。だからそう思うことに許可できたときに、分析する自分にも許可できる。
本当の意味での私らしさと対面する。
歩きながら、つながる時間を 味わった。仲間に感謝します。ありがとう