突然やってきた父の闘病生活

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質問してくれた方のおかげで、ものすごく 真剣に。
そして大事なことなので、
丁寧に伝えたいと思って話したことが2つあった。


1つはNVCとの出会いと、
なぜNVCにこれだけ魅了されて、今活動しているのかと言う事。

そしてもう一つは私と父、
私と家族との関係性について。
父が脳梗塞になり体が不自由になったとき、どんな気持ちだったかという事。



今思えば、脳梗塞を患ってから父が亡くなるまでの10年間の間、
父を突然見舞ったこの状況を 父はどう認識していたかあまり深く考えることがなかった。



それらを感じられる器が私にはなかった。
今もそんな器なんてあるかどうかなんてわからない。
今の私に、その器がなくても良い…
そう思えたところから、それらを感じ、父の嘆きや驚きや悲しみを十分に悼むことができた。





あの日、不整脈の検査入院で病院に入っていた父。
その病院で、父がお風呂に入る。体温の急激な上昇と血液の流れから起きた脳への血栓。
父は一瞬にして言言と体半分を自由に動かすことができなくなった。
脳梗塞、半身不随、言語機能不全。
生きていて認知がある状態。
つい数分前まで何の異常もなく、過ごしていた父。
ついさっきまで動いていた体が突然動かなくなり、言葉もしゃべれなくなり、下のお世話も誰かのお世話になるその屈辱。

追い打ちをかけるかのように数年後に、血栓が足の先に塊を作り、足を切断せざる得ない状況で、父本人には叫んでも 叫び切れない激しい怒り、やり残した数々の後悔やもどかしさ、それらがあった。



父の感情に触れるように父に共感した。
そしてその時その状況で、自分がどう、在れるか、在りたいけど、そう出来ない私を今ここでもう一度確認したらせき止めていた感情が溢れてきた。

全てがもどかしかった。
どうにもならないもどかしさについて。

その時、私たち家族や兄弟は 皆それらを抱えながら それを表に表面に出すことができず、出してしまえば、戻れなくなってしまうような怖さや嘆きに向き合いながら生きていた。
だから、父のお見舞いに行くと ただ隣に座って 父の姿を見て 自分のバイブレーションを響かせることしかできなかった。

何を響かせていたかと言うと、
「わかってるよ」
「お父さん、その辛い気持ち」
「それを見ていて私もつらいよー」と。
「でも、生きててよかったね。ありがとう。」

ただ、ただ、それだけを響かせていた。涙を流しながら思い出した、大切な思い出。

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