関係性 シグナルを見逃さない

覚えておきたい 今日のこと。

「NVCを生きるーNVCの意識の中で生きる意思」を探求し、シェアした時のこと。その中で自分を振り返った一コマ。

表面的に合意はするけれども、自分の深い部分で納得していないことがあり、もやもやすることがある。
そこにどんな構造が広がっているかを考えた。
いろんな構造、年齢、特権、社会性、心理的ランク、文脈、痛み、ジェンダー、生活環境、社会的地位。

私は、そのモヤモヤを見逃すことをしたくない。
今は、「何がそうなのか」を明確にできない。そして、「考え」が湧いている状態で相手と話すことは自分の思った方向に進まない気がする時は、言葉にして表現することを選択をしない。
自分の状態を知ってもらうことでつながりを深められる感覚がしない場合はそのまま持ち帰る。(私自身の問題)

それは、私にとって大事なこと。
なので、翌日に「やっぱり、合意できないので自分につながるために時間をください」と伝えることが1度あった。
私の発言に、相手にもインパクトがあることは理解できるが、まずは自分がつながらなければ 自分が満たしたい質を感じられる方向とは違った方向に話が進むことしか想像できず、言葉にしない。

私たちは、意見がくい違った時、同じ意見の仲間で固まる習性を持っていると思ってる。
本能的なものなのか仲間探しをする。
そこにもニーズがあって、安心やスペース、承認を大事にしている行動。
仲間で固まられると、自分はその場でマイノリティに値してしまうので 発言の怖さが立つ。
そして、その仲間でつながっていく構造に私は怖さや、痛みがあることを自覚する。私のニーズは安全や信頼、存在。



「そういう時は、その場でモヤモヤしていることを言葉にしてほしい」といわれても、できないと思う。
発言することをしない選択をする。
そういう自分も大事にしたい。
何かを言葉にできる時には、おそらくしていると思う。

「私は〜〜〜の感情で、〜〜〜が満たされなかった」と、その時の状態を伝えられた時、私という存在はどこかに置き去りにされてはいないだろうか。
NVCのプロセス言語を使ってコミュニケーションする時、意図の重要さを痛感する。言葉の奥につながりの質やその言葉を発する人の何を受け取ってしまうのだろうか、私は何を感じているだろうか。

目には見えない私がいること。
そして目には見えない相手の側面があること。
それらに答えはないが、うまく繋がれない寂しさを悼んだ。
どんな状態の私も、私はしっかり受容する。きっと私にしかしてあげることができないものなんだとしみじみ。
私の中に、「そういう時は、その場で言葉にするべきだ」「そうしなければ周りが困る」「私のこの状態を何とかしろ」みたいな声が聞こえてきていた。
と、その声が自分の中にあったことをそのまま置いてみた。

分析や方法や手段、変えるや自分をブラッシュアップする方向性の話ではなく、起きていたことに対してその時のニーズや持っていたつながりの質を通い合わせる
人間の深いエネルギーを感じられるコミュニケーションをしたい自分がいた。

これって頭でわかっていても、やっぱり難しい。

〜〜〜

もう一つ、「みなちゃんは練習が好き。だけど、他のみんなはそうじゃない」に反応してしまう私がいた。
「そうじゃない」に何か別の聞こえてくるものを感じてしまう。
相手は悪気がなくただ状況としていっている中に、マイクロアグレッションの側面を感じる。分断や分離された感覚になったことを、共感してもらいながら自分の問題(痛み)としてプロセスを行った。
私の中に「強引に誘うなよ」みたいな声や「あなたは異質」と線引きをされた感覚。そこに私の痛みがあった。痛みがあるから反応していることに気づく。
小学校4年性の時に、仲間に突然 無視された記憶。誰にも相談できず、孤独だった。母が水泳の送り迎えに「みなこは特別でずるい」と罪悪感を感じたこと。
私は、もしかしたら人よりもその痛みが強くあるので、マイクロアグレッション的なニュアンスを敏感に受け取ってしまうのかもしれないと自覚した。

そこに気づいたら、それを生かすことに意識が向いた。



私たちは、傷つけあおうとなんて思っていないことを十分に理解している。
相手との話の中で、湧いてくる感覚や感情は私へのギフト。
教育や直すことではなく、そこに向けたセルフコンパッションが1番のお薬になると思っている。あるものを、そこに置く。
「〇〇何だね」は、相手を遠ざけてしまうことにもなる。

でも、そう解釈したい思考がそこにあるのにも何かしらのニーズがあること。
「観察」って、やっぱりすごい。システムや構造に意識を向けて自分の中を見ていくことに癒しの気づきがあり、自分が癒やされると世界が変わっていく。

いつも、いつも、正直で本当のことを教えてくれる「私の感覚」にねぎらいを向けて愛情を注ぎたい。
私の感覚は私自身のものだから。

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