
感謝の日記 残り物のミートソース
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1. あなたの人生をより豊かにするために、誰かがしてくれた具体的なことを 書き出します。(これは観察をする練習になります)
長男が学校を休んだ日、遅く起きてきた。
昨夜の残りのミートソースでご飯を食べ始めた。確か、そんなに多くは残っていなかったはず。
「何食べてんの?」と近づいていく私に、「台所にあるよ」と言った。
台所には、取り分けたミートソースが残っていて私の食べるだけの分のミートソースを残しておいてくれていたこと。
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2. その行動がどんなニーズを満たすことに貢献したのかを書き出します。 (これはニーズの語彙やニーズ意識を培うことに役立ちます)
ミートソースはたくさん残っていたわけではない。お昼も他に準備していたわけではない。彼は具合が悪いににもかかわらず、そのミートソースをご飯にかけて、チーズを乗せて温めて食べていた。そして自分の食べる分の他に残してくれていた。台所にお椀に乗ったミートソースを眺めた時、ほんの少しの私への思いやりがじんわり染み込んでうっすら涙が浮かんだ。一瞬、準備していない自分を責める気持ちが頭をよぎったが、その神経回路ではなく感謝の回路に意識的に接続している自分を俯瞰して感じていた。
分かち合い、思いやり、愛、安心、自由、選択、その丁寧さやさりげなさに感動していた。
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3. 感謝について書き出している今この時、どんな風に感じているのかを 書き出します。 (これは、感情の語彙や感情への気づきを培うことに役立ちます)
今も涙がじんわり浮かぶ。
反抗ばかりで、「ちっとも私の話を聞いてくれない」とか、「私が今日から3日間出かけることだって、またうんざりしているんだろうな」とか、勝手な推測をしていたが、実は傍でいつも私のことを見ていて、1番の理解者であることや応援者であること。
それを押し売りするでもなく、そっと差し出すように「いつでも見ているよ。知っているよ」「わかったよ〜」って、見ていてくれていることにじんわりした。
今ここで私はその気持ちを受け取る「心のスペース」が私にあったからそれを受け取れている。普段の私にそのスペースがあっただろうか・・・。
いつも、「彼が〜だから」といっている私。もしかしたら、私が彼を受け止める心のスペースを作ることから離れてしまっていたのかもしれないことに気づく。
一人で四苦八苦。時間がなく、忙しくしている自分をどこかでダメな親だと否定していて「申し訳ない」と思っていた。今、自分ができている活動や私がどれだけ幸せであるかを祝福していないのかもしれないと思った。本当は幸せで満たされていること。その喜びや感謝を全身でエネルギーとして表現すること。そこに意識を向け直してみる。
それらを今ここで、感じてみる。
じんわり、感動、気が付けていなかった喜びをかみしめると胸のあたりにさらにじんわり。温かな鼓動や命があることに気づけた。
息子よ。私の元に生まれてくれて、そして大したことをしてあげられないのに、とか、自分をダメ出ししながらもいる私を母だと思ってついてきてくれて本当にありがとう。なんと表現していいかわからないが、今こうしてその気持ちを味わってみると涙が流れてくる。透明で、すっとした涙。
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4. 感情をあじわいます。 (これは、今ここに留まることの実践や、自分の活力を育むことに役立ちます)
一気に高揚した胸の高鳴りとともに湧き出てくる感謝。
それを味わい尽くすとすっと心が落ち着いた。
よし、前に進もうと思えた。
私は幸せだと噛み締められる。
今日の始まりにこのことに気づけたことにも感謝が湧いてくる。
今日私にやってくる全てのことが意味があり、私にとって最大のことであることを予測しワクワクした。
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5. この行動が起こることを可能にした、あなた自身の行動を書き出します。 (これは観察することや貢献、力をわかちあうこと、相互依存に対する気づきを 高めることに役立ちます)
忙しい中でも、子どもたちは夕飯を楽しみにしてくれている。
そして、最近は「何かお手伝いしたい!」と、次男、三男と一緒に野菜を切ったり、夕飯の味見をしながら確認したり…丁寧に日常を楽しんでいたこと。
長男は、全てを知っているし、見ていた。
そのごく当たり前の日常に幸せがあること。
手作りしたミートソースを大切に味わい、その残りを冷蔵庫にしまい、そしてその残ったミートソースを食べること。
その日常の中に、言葉にしない感謝や食べる喜び、営みがあること。
「面倒だな」ではなく、毎日を楽しもうとしていた私がいて子供達が受け取ってくれていたこと。
それでいいと思えた。全てに意味があること思えた。
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よし、今日も愛でいっぱいにしよう♡