5歳のみーちゃんがずっと誓ってきたこと

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ワークの覚書

5歳のみーちゃんが近所の家(部屋)に遊びに行った。
「お兄ちゃん、お部屋にいるよ」のおばちゃんの声に誘われて、お兄ちゃんの部屋に行き、はしゃいで遊んでいたら急にお兄ちゃんが怒ってみーちゃんの頬を無言で打った。(お兄ちゃんは高校生)
みーちゃんは一瞬、何が起きたかわからなかった。
混乱して固まって息をのみ、呼吸が浅くなり、身が縮こまり、頬は痛く、部屋を出た。
部屋を出て、混乱していた。
時間がたってやっと何が起きたか理解できた。
お兄ちゃんを怒らせてしまった。
自分のせいでお兄ちゃんは怒っている。なので、怒らせた自分は悪い子。
両親に嫌われたくない。
いい子でいたい、なのでお兄ちゃんを怒らせてしまったことは誰にも言えない。でも頬は痛い。
悪いことをしたら「謝りなさい」と両親に言われている。
悪いことをしたのに謝ることもできなかった自分はもっと悪い子。
「謝らなくちゃ」でも怖い。
誰にも言えない。バレたら困る。一人でなんとかしなくちゃ。
自分以外は誰も見えなくなってひとりぼっち。孤独。痛い。寒い。
自分は誰にも理解されない。なんで怒らせたかも理解できていない。

そこにタイムトラベル
背中をさすって「痛かったね」と言ってあげたら、気持ちが緩んだみーちゃんは話し出した。
↑のことを話して教えてくれた。
聞いてあげて、抱き抱えて「痛かったね」「怖かったね」「びっくりしたね」と諭すと、かなりのエネルギーを消耗していたのか、体の力が抜けてぐったり目を閉じてしまった。
固まって怖かったのを必死に一人で耐えていたことを理解し、そのままゆらゆらケアの気持ちを向ける。
「みーちゃん、今何がしたい?」と聞いてみる。
「謝らなくちゃ!」と、ビクッと起き上がる。
「謝らないとどうなるの?」
「だって、お父さんとお母さんに悪いことをしたら謝りなさい。と、言われているから謝らないと、お父さんとお母さんに悪い子だって思われちゃう。」
「私は何にも悪いことしていないけど、お兄ちゃんは怒った。自分が悪いことをしたに違いない。だから謝らなくっちゃ。」

みーちゃんは誓いを持っていた。
私、5歳のみーちゃんは、両親に厳粛に誓います。私は自分にどんな犠牲を払おうとも、私が生き延びるため、両親にいい子だと思われるためにそうします。
それを聞いてあげると、さらにみーちゃんは力を抜いてほっとした様子。

「みーちゃん、私はあなたが大きくなったみなちゃんだけど、お父さんとお母さんはそうは思っていないことを知っているよ。今、みーちゃんが頬の痛みやびっくりしたことへの優しさが必要だったら、十分に自分へ優しくしてほしいと思っているよ。今は謝れなくてもみーちゃんを嫌いになったりしないって知っているよ。」
「これを聞いてどう?」
「そんなことない!」
「どれ、痛かったね。」「頑張ったね」
そう言ってさとし続けた。
「その誓い、半分だけ軽くしてみない?」
「半分できるの?」
「できるよ」「そうしたらきっと呼吸もできるし素直に謝る元気も出てくるかもしれないよ」
「じゃぁ、半分だけ」
みーちゃんの目の前に両親のイメージの像が立っていたので、それを砂のように粉々にし、風に乗せて飛ばすことにした。
半分風に飛んだら、す〜っと全部飛んでいくのを気持ちよくみーちゃんと眺めた。

私は誓いを解除します。

自然と心が軽くなり、みーちゃんが笑顔になった。
そして心が弾む感覚を取り戻していった。
そして、元気に回復していく経過が見られた。
息ができる、軽くなる、胸が弾み目が開く、笑顔になる。
そのみーちゃんを十分に抱っこしぎゅっとした。「よかったね。」「うんうん」
「みーちゃん、どう?お兄ちゃんに謝りに行く?」と聞くと、
「今は、ほっぺが痛いし、お兄ちゃんがまた怒ったら怖いから 行かない」
そう言って、5歳の女の子らしく遊び始めた。
「また会いに来るね〜、バイバイ」
再開を約束し、今の時代に戻ってくる。

***

そのお兄ちゃんに謝ることも、この出来事も、誰にも何にも言えずにしまい込んでいた。
悪い子になってしまうのが怖かった。
いい子だねって言われたかった。
そのことすら、自分の中で揉み消していた。
けれど、振り返るとずっと気持ちの中で、引きずったままだったことに気づく。
やっと今になって、自分を癒やせている安堵感。
お兄ちゃんはもう天国の人だけど、
イメージの中で、お兄ちゃんとも和解できた。

***

私の中で似たような場面がいくつもある。
そして閉じ込めた私は、何が必要で、どうしたいのかは場面によって違えど、
両親が大事にしていた価値観をそのまま受け継ぎ、自分に言い聞かせ、それが苦しくなってしまっていたことに気づく。
生きていくために 小さな私が自分に誓ったいくつもの事を丁寧に振り返り自己愛を向ける。

***

いろんな文脈で子供の頃にアクセスしてきて、勿論誓い解除もしてきたけれど、あらめてサラ本人からメソッドの知識や提供する側の愛を受け取りながら年間クラス網羅し、バディやグループでの共有を行って3ヶ月目。
ここに来て今まで気づかない(気づかないふりをしてきた)「私」に出会うことができています。
誓いに触れていくまでの誘導や過程が繊細で丁寧。それが結構ポイントだったかも。

いつまでも学び続けながら、その喜びや分かち合いをして行けたらいいなって。英語のワークブックを手にしたけれどなかなか先に進まない人も多いと聞いていて、サラにも相談しながら日本でこれらを丁寧に学習できたらいいなと翻訳に勤しんでいます。サラは本を買ってくれた人がその本を生かして活用してくれる事を望んでいます。(2022年 きりん学校で触れていこうかと思っています)

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