
5月27日〜29日(2泊3日)の「うみたいわ~ラーニングジャーニー・コミュニティキャビン」合宿
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3日間の濃厚な時間を経て、
自分の願う最高の未来に向けて一番最初にしたいと思ったのは、「息子との会話」。
長男、中3の彼に寄り添うこと。
本来ならば、京都から福島に戻って話をしたいところだけど 1日からの移動の調整で私は京都に滞在。
彼は、今 未来に向けてもがいている…。
自分で、自分の未来を考え始めて 自分の経験してきたことや知っているものをフル稼働して 来年 親元を離れて県外の高校に行きたいといっていた。
正直、私はそこから逃げていた。
彼の発する言葉の後ろにあるエネルギーを知っていながら、
崩れることに怖さを感じ、逃げていた。
安心で、冒険もなく ただ社会に従順になることをイメージし押し付けていたのかもしれない。
彼を 大事に身体で感じ 共に前を向き つまりがあったら 彼が心も身体もズタズタに崩れる前に、私が手放すこと、身を委ねることでシステムにヒビを入れることもできる 私は彼の可能性の一つであることに気付いた。
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この合宿の視点はそこではなかったが、そこまで意識が向けられたし、個人の深い分野まで切り込んでくるパワフルさがあったということをここで伝えたかった。
なので、ここから書いています。
この合宿は、言語を超えた 彼の 未来の希望に寄り添えるのは私しかいないと気づかせると同時に
子供や自分をコントロールすることを手放すことを教えてくれた。
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そして、私は 私がこの3日間で体験した全てを握りしめて 福島の地域に「ある」声や未来に向き合っていく覚悟が決まった。
福島に住んでいる (私を含めた)地域住民と、生命のダンスすること。
自分の身体の声に従うこと、それだけでいいこと。
自分が可能性を秘めたみらいになること。
コミュニティの中で、仲間に承認される連続の中で自己肯定感が幾度も重なる体験。
願いを共にする体験や喜び、自分らしくいることが未来や世界を創っていくこと。
何かしてもらう道具的な仲間の存在ではなく、存在を大事にし合える仲間に出会っていくことへの招待。
すべて、一人でやらなくて良い。
存在で繋がれる仲間がここにいた。
福島を離れ、移住した福島を愛する仲間、
「うみたいわ」のコミュニティで汚染水処理問題を真剣に考える仲間がいる。
水俣の原発問題からずっと未来について向き合っている存在がいる。
その過程全てにあるもの、
私は私の形で自分の関わる全てに注ぎたいと思った。
福島にこの濃厚なコミュニティを持ち込んでいくこと。
学びながら、自分が可能性を秘めた未来になり、一人一人が可能性になるといこと。
一緒にダンスしていくこと。
フラクタルなシステムの可視化。
そこにある命のエネルギー、
作用する力、
手放す怖さ、
仲間に承認してもらうパワフルさ、
パイロットして共に向き合う「きりん学校」「地域活動』
それらと共に システムに自分が 体感で関わる。
何度も壊して、壊して、形にする 真性さ。
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4Dマッピング
体の声に従う感覚
言語や言い訳、分析、恐れ(マインド)を手放してつながっていく方法。
無理をしない。
自分の心地よさで繋がれる安心感。
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そう、栄養のたっぷりある食事、
同じ方向性を向いた仲間、
純粋さとシンプルさ。
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痛みを癒さなければと思っていたが、
痛みは栄養そのもの。
痛みを壊して超えていく。
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プロットタイプで 何度でも立ち上がる。
そう、私はそういう仲間も 今はいる。
ストレッチしなくても
心地いい つながりの中で 育まれることに吸い込まれる。