原発事故避難者オンライン交流会

原発事故避難者オンライン交流会
〜原発事故と現在地とこれから〜
構造はあらゆる関係性の中でフラクタルに起きている。

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私は、東日本大震災当時 宮城県に住んでいました。
お腹には二男がいて、3ヶ月後には出産の予定日。

あれから11年。
今、福島県に戻ってきて 今まで見えていなかった現実を見たり聞いたりしています。
ニュースでは扱われないこと、知ることがなかったこと。

それだけではなく、当事者と離れて住んでいると、自分の意識からその問題が無意識に外れていたことに気づく。
これは一般的にどの文脈の社会問題でも起こりうること。
私は、言語表現を閉じてきたので、言葉が苦手。
でも、今ここの自分のつながりたい気持ちから 自分の発っせる精一杯の言葉を使う。
自分の精一杯を受け取ってもらえたことを確認できると、お互いに深く知り合える感じがあって好き。
心から、受け取ってくれてありがとうと思えて、じんわりする。

罪悪感や恥ではなく、大事なことは「ただそうであった」と、観察し、今感じていること、そしてそれは何を意味し、何を私に知らせているのか、私は何がしたいのかを考えること。

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「避難の権利」を求める全国避難者の会 主催
今日のスピーカーは2人
・除本理史さん
東日本大震災後は、公害問題の教訓を踏まえ、福島原発事故の賠償や復興政策について調査研究を進めている。

・森松明希子さん
2児を連れて大阪へ国内避難(母子避難)。東日本大震災避難者の会 Thanks & Dream(サンドリ)を主宰。原発被害者訴訟原告団全国連絡会共同代表、原発賠償関西訴訟原告団代表を務める。

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「責任」というワードが飛び交っていた。
「責任」の中に、何を含めているかは同じではない。
相手にもあるし、自分の中にもある。
責任の一側面が満たされた時、お金や支援が満たされたら満足なのか。
いや…そうではない。
その声の下に 何があるかを感じつづけた。

その状態であった苦しみや悲しみ、認められること、大事にされること
それらが、何も施しようがなく固まっているように感じた。
社会の中で人権に関する自分の意見を聞かれる場がない現実。
原発のことをきっかけに深く考えると、生きている構造やシステム全てつながっていくために、急に怖くなってしまう。
気づいてしまうのだ。

日本の構造や自分の生きている環境に。
そこの中に自分がいることに怖さを感じる。
解決や何が得られるかの前に、
怖さや嘆きを聞く場が必要。

福島も他の県でも。
全国にはいくつもの原発があるので、同じようになるのかと思うと正直怖い。
そして、
被害者だけではなく、東電や政府、判決を下す役割を持った人の嘆きや怖さ、正直な声もあるはずだ。
「仕事」として関わっていた社会の構造の中で生きていた人たちにも、驚きや、嘆き、苦しさが被災者や避難者と同じようにある。

時間をかけてでも、聴かれたがっている、聴かれる必要がある声を聴く時間と場所が必要。
優先すべきは、解決ではないと心に響いてきていた。
いろんな視点の聴かれたがっている、目の前のその人の命からなる声を聞く場があったらいいなという願い。
責任や役割を超え 人として私たちはどの未来に生きていきたいかをつながりあい、前に進む大事な機会になることがイメージできた。
そうすると、ぎゅっとした感覚ではなく、希望を感じ身体が緩む。

敵vs味方から 離れ、
つながり直せたらその瞬間に最高の未来がやってくる。
痛みがある時、それが難しく「敵」として貼り付けるので身動きが取れなくなる。
それは残念なこと。
つながるには時間がかかるけど、その痛みも大事にしたい。
嘆き共にいること、今はそうする必要があるのだ。

サラの言葉が思い浮かぶ。
痛みが強い時、右脳から放り出されるため、左脳に流れる。
言葉や、してもらう行動、分離にとどまるのはごく自然の原理。

今はその状態なのかもしれない。
その状態であることを知ってもらうことが必要だからそうしているのかもしれない。
その経験者の全部を理解することが難しい嘆きがあることと共に自分の大事にしたい気持ちだけを握りしめて、ただ呼吸する。

否定や非難、分離ではない「愛」や「慈悲」からなる流れに繋がれることに願いと信頼を向けるだけ。
自分が痛みの回復までその場を離れ、自分にケアを向けることも可能。
相手が癒やされるまで待つことも可能。
私は、自分の願いにつながり続けることを選択したい。
これは 確実であったかい種まき。

日本中に種まきをしたい!と思っている。
そして、種まきをする人を増やしたいと心から思っている。
東日本大震災以外にも、多くの声が社会に隠れている。
日本中に、NVCの精神性につながって 場づくりをする人を増やすことに、私のいのちのマグマが動いていた。
NVCじゃなくても、いいのだ。

その人の持つ、「慈悲」と「嘆き」を並べること。
「ただそうであること」「目の前の存在を大事にすること」「バイブレーションして側にいること」
そうすれば、何かがやってくる。

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