
自分の全体性につながる生き方を探求中
八郷農場の見学と空き家プロジェクト
生き方と暮らし方を考える
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昨日は茨城県 八郷農場に福島県のいわき市で活動しているメンバーと見学に行って来ました。
福島の大切な、魂のお友達。
あっこりんに誘われて〜〜〜♪
この企画、
チェンドリのGCIで(たまたま)一緒の じゅんじゅんの活動企画で、みんなにも対面できた。
全てがスムーズで 準備されたような流れでご一緒できました。
せっかくここまで来たのだからと、水戸のさやかちゃんも会いに来てくれて、お昼を一緒に食べられた。
その後に、栃木の空き家再生にキラキラしているきくあつにもご対面。(ここにも さやかちゃんがいた(⌒-⌒; ))
空き家の見学をさせてもらって、
その土地を何十年も米作りをして守って来た師匠に会って、田んぼを見学し、サイダーをもらって帰路につき、1日を終えた夜。
夜は、鳥さん企画の勉強会の4日目。
学びの時間が、ここ1週間の全部を集約するように染み込むこの感覚。
しみじみ味わっています。
プレゼンシング、源につながる、そこに自分を存在させる。
私が私であることに自分を解放する。
50年続く八郷農園。
このシステムや関わり方や丁寧な作り方に惹かれる感覚がありました。
50年の智慧と叡智を 世代を引き継ぎながらシステム化していること、個人が負担のない関わりができる参加の仕組み。
養鶏と豚の飼育、循環システムの橋渡しに人間が存在していた。
全てに感謝を持ち込み、私たちのできる在り方そのものだった。
自分のNVCの練習サークルに これらのエッセンスを持ち込めないかとそのクオリティの再現できる 感覚からやってくるひらめきを探っています。
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非暴力コミュニケーション
「非暴力」を、自分の口でいったり、実践したり、同じエネルギーの仲間に触れたりする中で、今ここで私がどの地図を広げているのかを考えていた時、
気がつくことがあったのは、昨年のMikiのクラスから、VM(自分のコアが持つビジョン)に触れた時だった。
NVCはコアに流れている自分の感覚を開いていく。
生きていく根っこにもったもの。
それらが何であるかを思い出し明確にしたのが、今参加しているBeingの合宿だった。
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私にとって(違う人もいる)、本当の意味で、非暴力を考えはめじた時、暮らし方と在り方が私には重要になると気づいた。
それは、随分前から私の意識の中にあり 15年前にその暮らしを目指していたこと。
マーシャルが残した言葉の奥にあることを探求していくと、
自分の「全体性」につながることに導かれる。
そうした時に、今の私も15年前の私も何一つ変わっていないことに気づいた。
同じコアを持った「私」なのだ。
魂は生まれた時から同じ、私の魂である。
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まさに、在り方。
多くのNVCトレーナーから学んできた感覚や他の文脈からの気づきが 吸い込まれるように統合される 今この地図を確認した時に、自然と自分の流れの通りに現実が動いていく。
無理に何かを変えようとするのではなく、いろんな視点を自分に持ち込んで確認していく作業。
瞑想をすることの深さを体験している。
そして、これは始まりのきっかけであり この感覚を仲間とともに開いていくことに希望を感じている。
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今ここの自分のいる環境、所属しているシステム、流れを確認し観察する。
自分を確認する。
これらを深めれば深めるほど 今ここの自分を確認すればするほど、そのギャップに自分が鬱になる。
その重たい感覚こそが新しい未来への扉で、私に向けた命のリマインドだと思えるようになるには仲間の存在が必要ということも理解した。
急がなくていい。
急ぎたがるのは、家父長制の影響からくる刷り込んできた生き残りや競争のエネルギーなだけである。今ここではいらない。
身体や心はそう示していない。
そうである自分とともに座ること。
ハート知性はここで降りてくる。
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自分の
口から出てくる理想と、思考の解釈から かけ離れる中で生活している現実は、ギャップだらけ。
その感覚はまさに、切り離される感覚。
そりゃー私も鬱にもなる。
そうだよね。誰でもそうなるよ。
そこに留まることは苦しいが、そこに留まって、自分の根っこに何があるかを確認することが叡智であると 世界は教える。
そして、今ある幸せや祝福を自分に招待し、エネルギーに従うこと。
それはゆとりのある時間が招待する新しい叡智だよなって。