糸島のリトリート3泊4日(+前日入り)、サポートとしての参加・・・。
あっという間に、明日で終了です。
参加者とは違った視点、経験してみないと見えないことも沢山あり、勉強になります。
いろんな体験をさせていただいている事にとっても感謝しています。
色んな事を映画のように眺めています。
人が集まるのは、関係性そのものです。
自分を守りたくなる瞬間。自分を表現し、受け止めてもらいたい瞬間。自分をいつもの癖で後回しにし、何か安心を手に入れる瞬間。
アドバイスする事で自分のニーズを満たす その瞬間。
場を楽しくすることをする事で、息を抜き 今感じている緊張を麻痺させる瞬間。
それが沢山重なっている場。自分が自分であるために。
何が必要で、何を大事にしたいのかが 関係性の中から見える。
そして、私も自分が自分であるために大切にしたい事がこの数日間ではっきり見えています。
私は私であること。私を大切にし、どんなことを表現者として表現し、生きていきたいのか・・・。
参加者が、「何を」探しにきているのか。「今までとは違った 変えたいものがあること。」その「何か」は、意外にワーク以外のところに沢山あると思いながら過ごしていました。人と人との関わりは奥深く、そう簡単には表面化してこない事。
そして 簡単に変身できる 特効薬はないこと。
でも、いつもと違った人との関わりの中から、気がつくことはできる。
必死に生きてきたのに、急に変われますか?今ここに素直に、自分に正直に 内側を表現することにチャレンジ。そして、表現の仕方は人それぞであり、誰にも評価や判断はされません。
いい人にもなりません。
いつもの私になっていませんか?では、どうやったら 新しい自分とつながれるのでしょうか。
視点の持ち方、捉える幅。
意図の持ち方。
必死に生きてきた私を癒すことは私にしかできないのです。
自分の痛みを身体を通して充分に感じ流ことができた時、その痛みが教えてくれる。
痛みの奥にある切なさや優しさ、歯痒さは消えることのない無常感にも近い感覚で、そこに立つことができるからこそ 前進するリソースにつながっていること。
すぐに解決しなくていい・・・
そこに留まることが大事。
答えのない洞窟に入れることも その洞窟を一緒に楽しめる仲間に出会うこともまた楽しい。
いつもと違った視点にチャレンジする。
「私は〜〜〜〜だから」を手放す。
「悼み」を自分の中に感じることは 思考ではなく、体感覚。
ただただ、眺めながら 見守る コンパッション(慈悲、慈愛、思いやり)言葉はいらない。
明日は最終日。海の音と鳥の鳴き声を手掛かりに 私は私をエンジョイする♪