NVCは手法を超える

NVC大学 合宿最終日。
自分の中に揺れ動く情動を感じながら幕を閉じました。

最終日の朝、
ダイアド瞑想で私の中にある「循環」の世界を確認し、潜ってみる。
私の中に「循環」を多方面で探っていくと、ある感覚に気がついた

私の中で「循環」を感じることは、自分のエネルギーを回復させることに大きく役立つ。
実際に、私が行う呼吸は植物にとって大事な二酸化炭素を吐き出している。
そして、私は植物の内側を通した命の要素を纏った酸素を体に必要な養分として取り入れている。
私にとっては不必要なものもであっても、必要なものとしてギフトされていて、それらは私が存在することを必要としている。
私の身体を流れる血液と同じように、流れるものが自然界にはいくつも存在し、与え受け取りあってお互いが存在している。
それらには、全くお金がかからない。
叡智である。
これらには気づいていた。

その叡智にたどり着く少し手前に、ある感覚があることに気づいた。
とっても物悲しく、寂しい感覚。
と同時に、切ないくらいにそれらに憧れる感覚があった。
染み込むような、襲われる怖さと同居する。
その悲しみの正体。現実の世界は「循環」ではなく、貨幣制度の中に生きる痛みでもある。現実は、生きるための奪い合いの世界に大きく傾いていて、生きるために必死にそれらと向き合っていること。
私の身体や意識の全てが、こんなにも「循環」を必要としているのに純粋にその世界で生きられていないこと。
生命力がギリギリまで枯渇してしまっていることへの怒りを超え、圧倒される無力感の中で生きている現実であった。


会場までの10分の道のり歩きながら、子供たちの顔が浮かんだ。
100%依存の状態で、私の身体から生まれてきた いのちに私は、どうやって真実と現実と 必要なものを シェアし、彼らが 生きていくこと、一人の人間として立つことをサポートできるだろうと 静かに考えていた。

美しさや、深い愛情の世界があるのに 
つながれていない悲しさ。
この絶望や、孤独、抹消されるような怖さの奥には、深い深い願いが存在する。
忘れないように、この感覚を味わいつくし染み込ませたかった。

2021年 NVC大学 SLP最後の合宿は 幕を閉じた。

それらを全部 包み込むようにシャーマンに包まれるような 壮大な感覚の中、仲間たちとそれらを確認した時間。

NVCは言葉を真っ直ぐなエネルギーに変換させる一つの手法である。
それだけではない。
それ以上に 自分の人生の意味や目的を大きく変更させていく。

NVCはきっと〇〇だ!と、
飛び込んでみるも、そうではない現実を目にし、感じ、傷ついてきた私を優しく包み込んでくれた。
私と同じ、人間だもの。
全てがそうではないことも、そのまま受け入れ、
皆がそうでありたからこそ、つながっているのを噛み締められた。


まだまだ続く、NVCと共に生きる道のり。
子どもたちに 感謝して 帰ったら思いっきり 抱きしめよう。
抱きしめてもらうのは、きっと私の方かもしれない。



写真は、バディと一緒に担当した一コマの記念写真♪

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