思春期の競泳での出来事を思い返す

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とあるグヮーンとしたエネルギーそれを感じて、
感じてそれを見逃さず、
そのエネルギーを私に伝えてきたパーツがいてそのパーツとお風呂に入りながらゆっくり話をしてみることにした。
(パーツとは私の中にある1人の副人格)


まぁ、新しい感覚でもないし、
結構お馴染みの感覚でもある。




このパーツさんはいつからいたんだろう。
どんな役割をしてくれてるのかなぁ。
なんて話をしていたら、
どうやらこのパーツが私の中で役割を果たすようになったのは中学1年生の東北水泳大会の時から。

時々出てきては私に避けられてきたパーツ。
ごめんよー今夜はゆっくり話を聞くからね。



中学1年生の夏、
私が住んでいる須賀川市から東北水泳大会に参加するのは私だけだった。
引率の年配の男の先生と、宿泊したので なぜか母親が付き添いで大会に参加。
忘れもしない100メートル自由形決勝の場面。

私と同じレーンに立った年上の選手。
どこかしらの大会ではいつも一緒になるメンバーではあったが、
身長も大きく、手足も長い。
その時は、ものすごく大きく感じた。
おまけに 応援席からは、他の選手の所属する同じ中学校の大きな応援が華やかに感じられ圧倒される感じもあった。

孤独に行ったイメージトレーニングでは完璧だったはずが、
後半飛び出すことができず、タッチの差で私はその彼女に負けてしまった。

スタートする前から私は、その大きな圧倒される感覚に飲み込まれていた。
寂しくて、心細くて、自分を信頼することにパワーを向けられなかった。
自分の中心ハートでに信頼と優しさをを向けられなかった。

そうそうそう このグォーンはこのときの感覚 と全く同じだ。

今思えば、それも仕方ない。
中学校の一年の体の大きさの差やエネルギーの差は大きい。
個人競技とはいえ、たった1人で試合に臨むには心細すぎた。
当時の自分への優しさと、その中で「十分にがんばったよね」と寄り添ってみる。そうしたらグヮーンと言う感覚が和らいだ。
これまた不思議。

相手の手は私より随分長かったよね。
一人だもの、圧倒されても仕方ないよね。
でも、今の自分だったら飲み込まれないから大丈夫♪
そうそのパーツを労い、ハートから湧き出るエネルギーで包み込むことで落ち着いた。

そして、どうして私がコミュニティ、コミュニティ、仲間仲間〜とこだわる理由が理解できたような気がする。
もうそんな寂しい思いはしたくないし、させたくない。
怖くて、寂しくて、そして勝負に飲み込まれて負けてしまって傷ついた自分に そこでずっと立ち止まるよりも前に進んでいく楽しさや喜びを分かち合いたいのだ。

私の愛しいパーツ達よ♪いつもありがとう♡
自分にセルフコンパッションできた夜。
自分に優しさを向ける。



ただそれをひたすら練習している80名のコミュニティーがある。
今日もデイビットのプラクティスが待っています。
80名でも深く繋がれているこのつながりの質を日本に持ち帰るぞ!

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