私の中の小さな人

Photo by Daria Shevtsova on Pexels.com

箇所箇所では気づいていたが、何かが大きくつながった。
忘れないようにここに残します。
私の中にある、小さな人のこと。

〜〜

私は4人兄弟の年の離れた4番目兄ちゃん、姉ちゃん、小さな兄、私の4人。
その中で過ごしたことを今でも内包して生きている。
小さな兄は兄ちゃんに抑圧されるように服従させられていた。
兄ちゃんは野球部の活動で疲れて帰ってきる。
夜になると小さな兄にマッサージをさせていた。
やりたくないと小さな兄が言うと、半ば強引に暴力的にそれらをやらせられていた。
(本人はそんな気はないと思う。高校生のパワーって大人並み)

小さな兄はやらないと殺されるかもしれない、死んでしまう・・・そう思って、仕方なくマッサージを行なっていた。
小さな兄の口癖は「畜生〜」「なんで俺がこんなことやんなきゃいけないんだ」「こんなのおかしい」その記憶が私の中に残っている。
4歳の私はそれを見ていたし、知っていた。

小さな兄は兄ちゃんにされたことと同じことを私にやりたかった。
自分が兄であると言う尊厳や存在を確保するため。
妹にしか示すことができず私を自分の思うように使いたかった。
どうでもいいようなことでも、妹をアゴで使い、服従する気分を味わいたかった。
そうでもしなければ、小さな兄は苦しすぎたのだ。

それを見た姉は、弟のその姿に対し私を守った。
小さい兄とと戦った、なので小さな兄と姉はしょっちゅう喧嘩をした。
本当に今考えるとどうでもいいようなくだらないことで喧嘩をしていた。
おそらく私は4歳位だったと思う。
私からその喧嘩は、とてもインパクトが強かった。
大きい兄弟がやることなので力強いし、パワーもある。
とても怖かった。

そして何より、喧嘩の原因が自分であることに小さな私は心を痛めていた。

私は無意識に2人の喧嘩を見ると、
「私がいるからいけないんだ」「私が存在するから喧嘩が起きるんだ」「私なんていなくなったほうがいいんだ」「私がいなければ姉妹はとても仲良く過ごせるんだ」と思うようになっていった。



それともう一つ、
当時 私は自分よりも大きい兄や姉が大好きだった。
小さな私は、姿を見つけると兄弟に近づいていっていた。
抱っこして欲しかったし、よしよしして欲しかった。
話を聞いて欲しかった。
でも私が近づくと大きいお兄さんお姉さんは「こっちに来るな!」「お前はあっちいってろ」「(部屋に)入ってくんな」そう言って私をあしらうような言葉をかけた。

コミュニケーションの機能がうまく働いていない家族にはよくあることかもしれない。
昔の日本の家族の典型的な形。
時にはその声がものすごく強く聞こえたし、大きい声だった。
それを聞くと私はビクビクし、さらに自分が存在しちゃいけないんだと思った。
薄暗い階段でそんな自分をよく癒していた。
膝を抱えるように座りながら、兄弟が面白半分で私に言っていた言葉をリフレインさせていた。
「お前は川の土手からを拾ってきたんだ」「うちの子じゃないんだ」その言葉は、4歳の私には深く刻まれていた。
姉妹からまるで邪魔者のように扱われると私は決まって薄暗い階段に行って過ごしていた。
自分に「私は川の端から拾われてきた子供」「私の家はここじゃないかもしれない」そう言い聞かせることで、私は今自分が抱えている怖さや存在できないそんな疎外感、無力感すべてを慰めていた。
「拾われてきた子だからしょうがないんだ」「仕方ない」と言って慰めていた。


そして本当の私の家族と本当の私の家はこんな風だよね…あんな風なのかも…と現実とは違ったドリームランドを広げて自分を癒し続けていた。
薄暗い階段。
ここは私が気持ちを落ち着ける唯一居られる場所だった。

兄と姉が喧嘩をしている。
その状況は、私は何もできない。怖くて体を固まらせ何も言葉を発っせなかった。
自分が喧嘩の原因であること、自分が存在しているから喧嘩していると思うと何も言葉を発することができなかった。
そこで、「わたし、みーちゃんは何も話してはならない。存在そのものが場違いだから、ただ黙っている」と誓いを立てた。

本当は家自体が、穏やかにほっとするような雰囲気であって欲しかったし、そんな家族でいたかった。

〜〜

それらが満たされたときのことを想像するとどんな感じがするかワークをした
何が起きたらよかったのかと考えると、
私が「観察」したこと、「見えている事」を言葉にしてし小さな兄の痛みに寄り添うことだった。

そしてその痛みがあることを理解したい気持ちを姉に伝えて、姉に協力を求めながら一緒に癒すことだった。
これらは、日々の生活の中でも数多くフィードバックされていることにも気づく。
そして日本の社会のまとっている質感やパワー構造と私が生まれ育った家族の中で感じる質感やパワー構造があまりにも似ていたり重なる部分が多く、私はただ生きているだけでいくつも反応している事に気づく自分が存在できない。
自分がいるからいけないんだ。
そんなことをしょっちゅう感じる。
襲われる感覚。
感覚が記憶している。




このワークで気づいたことは、私は兄弟の心の動きを、見て聞いて「観察」し続けてきたことである。
たとえ辛い状況の幼少期だったかもしれないが私にとっては大きなスキルになっている。
そして自覚する。
このスキルや特性を生かして、これらを声に出し評価判断ではなく、ただ歩者としてお互いに悼み、ケアを向け、それらの中を生きてきた現実を捉えていくこと。十分に生きてきた強さや繊細さを褒めてあげること。
それが私の生きる使命になっているのかもしれないと気がつく

私は今まで数多く自分の幼少期や人生の中で果たしきれなかった兄弟間のこのつながりの嘆きを埋めようと仕事を選択してきたことにも気づいた。
ウェディングプランナーの仕事、育成の仕事、本当の意味で人とつながりを育んでいくということへのチャレンジ、チームでのロープレ。
ずいぶん遠回りしたけれども、社会の痛みと同じように私の家族や兄弟の中にある痛みを解決するのではなく、ただ「そういうものがあったよね」と響かせ、共鳴させる。

それらを今、自分のために私が感じる時が来たと思っている。

言葉でなのか、非言語でなのか、それはどうであれ、今私が必要としている。
そして、自分が見てきた世界ではない兄や姉が見ていた世界を知り共鳴させること。

直接会って、同じ肌質や感覚を共にしながら 話しをし、脳を共鳴させて癒すことが私に必要であること。
社会で受けた痛みや固めてしまった私の心、それらは同じ社会の中でしか溶かすことができないと気づき、プロセスの駒を進める。

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