
メリークリスマス🎄
昨日は長男が仕込んだ鶏肉を漬け込んで焼いたものを1品に家族で細やかなクリスマスを行いました。
手作りだけど、それが我が家らしくて 楽しい時間でした🌸
昨日は次男と一緒に健康診断に行ってきました。
「3世代コホート調査」(医療研究の情報提供)に参加している我が家。
スタッフ:「あれ?骨密度が低いですよ。もう1回測定しなおしますか・・・。」
と、2度測定してもらったものの数字は変わらず…。
わー、これは食生活を見直さねば〜と、現実を受け入れた瞬間でした。もっともっと子供たちと楽しく過ごしたいその気持ちから「健康」へ意識が向いた。
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何度も手にして読んできた本、
「ディープ・デモクラシー」から。
何度読んでも学びが深いなと思いつつ、「私」を通して出てくる質感や言葉に何を纏わせていくかにも大きく影響するなと違った視点も出てくる。
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「タオイズム」について本ではこう記される。
自然を 信頼する古代中国の考え方に基づいている。
葛藤と平和、停滞と突破といったあらゆる対極的な状態を両方とも大切にする。
自然に注意を払い自然を観察しなさいという教え。
変化しないものなど存在しない。
そう、私も日々変化している。
全てが共に動き、共にダンスしていること。
地球が一緒にダンスしている。
万物がダンスしている。
万物の変化やそのつながりを重視する視点。
(地球とダンスする。この表現が気に入っている。人間とダンスすることに難しさを感じるが地球と…だと、すっと繋がれる感覚がある♪)
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アウェアネス(自覚・気づき)が鍵となる視点。
関係性において必要な一方とは、その瞬間の状況の中に見出される。
その状況における自分自身のコミュニケーション。、シグナルや夢、隠れたシグナルや感情、いわば隠れた「タオ」。
活力のある「シグナルや夢」によって人々はお互いにうまくやっていくための必要な次の一方踏み出す。
気づく自覚のトレーニング。
「気づき」は新しい一歩。
そうそう、トレーニングなんだよねって。
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ここは私の解釈。
今の社会は「自覚」することを大事にしている。
そう、今までは「子供を育てる」や「社会貢献する」など、私には「自覚」が重たくのしかかる感覚があった。
社会の中でどう生きていこうかとばかり考えてきた。
社会に適合した私であること。
その後ろには「良い」「悪い」の判断があること。
プロセスワークでいうランクの自覚と同じ「自覚」という言葉を使うが、相手とどうしたいかの意図なのか、社会に従順に生きることへの意図なのかで言葉の質がずいぶん変化する。
「ありのまま」ってよく聞くけれど、ありのままになるのが正直怖かった。
本来は、ありのままでいい。
そのまんまの自分を見ることができた時、相手を変える必要もないし、自分も無理に変えようとしなくていい。
感情的なフェーズを超えていくと、何も行動しなくてよくなり、フェーズのスタートの場所に戻ってくる。
違っているのはフェーズの中で手にしてきた気づきを握りしめていること。その気づきを持った自分から見ている視点は愕然に違う。
そこに気づいたら、ふ〜っと楽になる自分を感じた。
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すべての声、感情が必要とされている。
必要のない人間なんていないし、今ここに存在するそのものが大事。
一瞬一瞬の相互作用における感情や雰囲気に対する気づき、
微細な言葉にされていない(ノンバーバルな)経験に気づきが大切にされる。
誰もが、そのままの自分を肯定できると確信できる。
呼吸が深くできる感覚だ。
ついつい「何とかしたい」と強く思いすぎてしまって、
自分自身の力を使うことに頼ってしまう。
その力への依存心が自分を疲弊させてしまい、感情を不明瞭にしてしまうこと。
ここで、ものすごく気に入っているのは、
「個人的な力で世界を変化させるリーダーは必要としていない。」という部分。
変化は人々と自然の中に内在している。
力ではなく本質的な自己や気づきを世界の変化には必要としされているということ。
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場づくりにおいて、
人生から激しくノックされて何かを学び、
生きることについての知恵や超然とした態度を学んでいるならば…
私の中にある「気づき」と「能力」を他人と分かち合い、他人を支援するための良い場所になるだろう。
あー、Mikiは「ブルース」っていってたな…と思い出し、
その言葉を胸に握りしめた。
来年、一人じゃなくてじっくり仲間と読みたいな。味わい尽くすために。